1. ここが問題
過労死とは、長時間の仕事などで蓄積された疲労やストレスが原因となって脳・心臓疾患等の疾病を発症し死亡したり,精神障害等で自殺することをいいます。
一般に企業において過労死が発生した場合のリスクとしては,企業の安全配慮義務違反に基づく莫大な金額(2000万~3000万円を超えることもマレではありません)の民事損害賠償責任が考えられます。
また、過重労働により従業員を死亡させたことが報道等で明らかになることによる企業イメージのダウンといったレピュテーションリスクが考えられます。2015年に電通の新人女性社員が過労による自殺をした際には電通に対して世の中の厳しい批判がなされました。
従って,過労死と疑われるケースに際しては,企業は慎重な対応が求められ,十分な調査もせずに安易に労働者側の言い分を鵜呑みにすることはできません。
また,ご相談のケースでは社員の労働時間や業務負荷には細心の注意を払って労務管理していたとのことですので,過労死であるとの労働者側の申し出を軽率に受け入れることはできません。
このように労災が疑われるケースにおいて労働者側の主張と会社側の見解が異なる場合,会社は労災申請に関わる証明を拒否することができるのかが問題となります。
2. 事業主証明
(1) 労災保険給付等の申請手続
労働者が労働災害により負傷や死亡した場合等には,被災労働者又はその遺族等(以下「被災労働者等」)が休業補償給付や遺族補償給付等の労災保険給付の請求(労災保険法12条の8第2項)を労働基準監督署長に対して行うことになります。
被災労働者等は労災保険給付等の請求書(以下「労災請求書」)に必要事項を記入して労働基準監督署に提出しなければなりません。
その際,労災請求書において、①負傷又は発病の年月日及び時刻、②災害の原因及び発生状況(以下「災害原因等」)などについて事業主(※労働者の雇主(通常は会社))の証明を受けなければなりません(労災保険法施行規則15条の2第2項等 以下「事業主証明」)。
(2) 事業主証明への対応
この証明を求められた場合,事業主は「すみやかに証明をしなければならない」(労災保険法施行規則23条第2項)ことになっています。
そこで,事業主は,いかなる場合でも事業主証明に応じなければならないのでしょうか。
ア 記載された事実に異論がない場合
例えば労災請求書の災害原因等が「死亡労働者は,営業課長として就労していた。平成25年5月15日,朝から頭痛を訴えていたところ,午後になり容態が悪化し,午後5時に救急車で病院に収容されたが,くも膜下出血により死亡した。」などとシンプルに記載されているような場合があります。
記載された外形的事実については会社としても異論がない場合は,事業主証明に応じても問題はありません。
そもそも事業主証明を行うことと,会社の民事上の法的責任等とは直接的な関係はありませんので,事実関係に異論がなければ拒否する理由はないからです。
イ 記載された事実に異論がある場合
(ア) 事業主証明を断ることは可能
これに対し,例えば労災請求書の災害原因等に,会社が調査・把握している事実とは異なる事実が記載されていたり,会社の安全配慮義務違反を示唆する内容が記載されているような場合があります。
この場合は、そのまま事業主証明欄に押印することは躊躇されるでしょう。その場合,会社は,事業主証明を拒否しても構いません。
(イ) 被災労働者等への説明
ただし,無用なトラブルを回避する為に,被災労働者等に対しては,証明ができない理由を説明した上で,事業主証明が得られない場合であっても、労災請求自体はできる旨を説明した方がよいでしょう。
そもそも労災保険の支給・不支給は,労働基準監督署長が関係者への事業聴取や資料収集などにより調査した上で支給・不支給の決定を行います。
それゆえ、労災として認められるかどうかは事業主証明が決定的な意味を持つわけではありません。事業主証明がなくとも労基署は独自に調査して支給を決定することもできるのです。
このような場合,実務上は,被災労働者等は「事業主は,本件の遺族補償給付について事業主の証明を拒否していますので,同証明がないまま,遺族補償給付支給請求書を提出します」などと記載した上申書を添付して労災請求をする例があります。
(ウ) 意見書の提出
また,上記のとおり事業主が災害発生状況について労災請求書の内容に異論があり事業主証明ができない事情がある場合には,「意見書」を提出することができます。
すなわち,事業主は、労災請求について、所轄労働基準監督署長に対し意見を述べることができるとされています(施行規則23条の2)。
その際労働者の負傷若しくは発病又は死亡の年月日、事業主の意見等を書面に記載し,さらに,業務に起因して発生したものとは認められない等の意見を記載することが出来ます。
ただ,いずれにせよ労働基準監督署長は,前記のとおり独自に調査した上で労災保険の支給・不支給を決定しますので,会社は労働基準監督署長の調査協力の要請に対しては誠実に対応しなければなりません。