日本システムワープ事件

日本システムワープ事件(東京地方裁判所平成16年9月10日判決)

退職後3年間は, 同業の企業に就職しない等の就業規則に違反しないこと等を記載した退職時誓約書に署名押印し提出したのは,損害賠償請求も考えていると言われ,やむなく行ったものであること,解雇予告手当を請求,受領したのは,労基署に相談したところ,解雇予告手当を請求できるとの助言を受け,当面の生活のために支払を受けたもので,解雇を受け入れる意識はなかったことなどから,合意退職の主張を退けた裁判例

1 事案の概要

被告は,コンピュータに関するソフトウエアの作成およびサービスの提供一般労働者派遣業務等を目的とする株式会社であり,原告は,平成15年4月23日,コンピユータシステムエンジニアとして被告に期限の定めなく雇用された。原告は,同年7月4日まで社内研修を受けた後同年7月7日からA生命保険株式会社(以下「A生命」)の本社システム部に派遣され,同所においてシステムエンジニアとしての業務を行っていたが,派遣先従業員の女性Bを繰り返しお茶に誘った(口頭1回メール2回)行為を,派遣先で不道徳な行為に及んだとして,被告は,原告に対し,平成15年7月17日付け「懲戒免職」と題する書面により,試用期間中でありながら就業規則44条11号に該当する事由があったとして,懲戒解雇する旨の意思表示をした。
原告は,派遣先の女性従業員をお茶に誘った行為が,就業規則の懲戒解雇事由に該当する程度の行為ではなく,被告に対し,解雇が無効であるとして,労働契約上の地位の確認と,解雇後の賃金の支払を求めた。

2 日本システムワープ事件判例のポイント

2.1 結論

原告の懲戒解雇は無効であり,普通解雇としても解雇権濫用で無効,解雇予告手当の受領をもって黙示的に雇用契約解約の申し入れを受け入れたとは認められず,原告が,被告に対し,労働契約上の権利を有するとし,解雇から本判決確定の日まで,従前の賃金を支払うよう命じた。

2.2 理由

1 本件懲戒解雇の効力について

被告は,原告のBに対する行為がお茶の誘いを逸脱するセクハラ行為であったとして,就業規則44条11号が定める懲戒解雇事由に該当すると主張するが,原告のBに対する誘いは口頭で1回,電子メールで2回の計3回にすぎず,その態様や内容自体も通常いわゆる「お茶に誘う」域を出ないものと認められるのであって,被告が主張するような行為であったことを認めるべき証拠はない。むしろ,A生命は原告の1回目のメールの後,原告に注意するよう被告に申し入れていたが,直ちに被告が原告に注意を行わず,2回目のメールが送信されたことを重視したものであり,この結果,原告の出入り禁止という事態に至ったものと推認される。原告の行為は,自己の立場をわきまえない軽率なものではあるが,むしろ,適切な対応をとらなかった被告の側の責任がより大きいというべきである。
そして,原告の行為は,これをもって,就業規則44条11号の懲戒解雇事由である,「ハレンチ,背信な不正不義の行為をなし,社員としての対面を汚し,会社の名誉及び信用を傷つけたとき」に該当するとみることはできない。
さらに,被告は,原告がA生命のパソコンを使用して私的な電子メールを送信したことも問題とするところ,被告の就業規則36条は,社員が遵守すべき服務規律の一として「原則,仕事中は私用電話,私用メールはしないこと」を挙げており,原告のメール送信行為は,この服務規律に反するものであると同時に,派遣先での行為であるため,対外的に被告の信用を低下させる行為といえるが,この点を併せ考慮しても,原告の行為は軽微であり,前記懲戒解雇事由に該当するとするのは困難である。

2 普通解雇の効力について

原告の問題とされる行為は,7月15日から同月17日まで,3日連続して,口頭で1回,電子メールで2回,派遣先の女性従業員Bをお茶に誘ったというものである。原告の行動は,前記のとおり,自己の立場をわきまえず,かつ,相手女性の心情を忖度する姿勢が希薄であって,いささか独りよがりの感があるといえ,また,派遣先のパソコン端末を使用して私用メールを送信したという点では,被告の就業規則における服務規律に反するのみならず,顧客に対する関係で被告の信用を低下せしめる行為である。
しかし,本件行為の内容及び態様それ自体は,特に強く非難されるべき行為とまではいえず,それが原告のA生命出入り禁止という事態に至ったことには被告の対応の不適切さが介在しており,顧客側からの苦情に対し被告が速やかにかつ適切に対処していれば,このような事態は回避できたと考えられること(A生命には,原告が注意されたにもかかわらず同じ行為を繰り返したとの誤った認識があったと推測される。),顧客のパソコン端末を使用して私用メールを送信した点も,メールの内容・長さ,回数からするとごく軽微なもので,この観点からする顧客側の苦情は,従たるものと推認される。
以上を考慮すると,本件行為により,原告について直ちに社員として不適格とまで認めるには至らず,仮にこれを肯定したとしても,本件解雇は,解雇権を濫用するものというべきである。

3 合意解約の成否について

原告が退職時に被告就業規則49条及び50条に違反しないことを誓約し,仮に違反した場合は就業規則47条に基づき提訴されてもかまわない旨が記載された退社時誓約書に署名押印して被告に提出したこと,原告が本件解雇直後の平成15年8月に被告に対し解雇予告手当の支払を請求し,被告が同年9月4日にその支払をした。原告は,被告から解雇を通告された後は被告には出社せず,一時的に短期の仕事をいくつか請け負うなどしてなにがしかの収入を得,同年7月下旬ころには被告に対し離職票や源泉徴収票の交付を請求した。
被告は,本件解雇の意思表示を本件雇用契約解約の申し入れとし,少なくとも解雇予告手当を受領した平成15年9月5日には,原告がこの申し入れを承諾したと主張する。
しかし,原告が退社時誓約書を作成する際,被告から,本件行為により被った損害について損害賠償請求も考えていると言われ,そのような事態を避けるためやむなくその作成に応じたこと,原告は,本件解雇を通告された直後の7月下旬ころ,本件解雇について労働基準監督署に相談し,その指導により被告に対し離職に伴う書類を請求するとともに,解雇予告手当の請求をすることができるとの助言を受け,当面の生活のため被告にこれを請求してその支払を受けたが,これにより解雇を受け容れるという意識はなかったこと,原告は,同年12月,法律扶助協会を通じて原告代理人に相談し,本件解雇の無効を主張して法的手段を採ることを決め,平成16年1月,当庁に地位保全等の仮処分を申し立てたことからすると,原告が平成15年9月5日被告から解雇予告手当を受領することにより,被告による本件雇用契約解約の申し入れを黙示に承諾したと認めることはできない。

3  日本システムワープ事件の関連情報

3.1判決情報

裁判官:三代川 三千代

掲載誌:労判886号89頁

3.2 関連裁判例

O法律事務所(事務員解雇)事件(名古屋地判平成16.6.15労判909号72頁,名古屋高判平成17.2.23労判909号67頁)

テレマート事件(大阪地方裁判所平成19年4月26日 判決)

主文

1 原告が被告に対し雇用契約上の権利を有する地位にあることを確認する。

2 被告は,原告に対し,189万7289円及び平成16年4月以降本判決確定の日まで毎月15日限り30万円を支払え。

3 原告のその余の請求にかかる訴えを却下する。

4 訴訟費用は被告の負担とする。

5 この判決は,第2項に限り,仮に執行することができる。

第1 請求

1 主文第1項と同旨

2 被告は,原告に対し,189万7289円及び平成16年4月以降毎月15日限り30万円を支払え。

第2 事案の概要

本件は,被告の従業員であった原告が,被告に対し,解雇が無効であるとして,労働契約上の地位の確認と解雇後の賃金の支払を求める事案である。

1 前提となる事実(証拠を掲げないものは争いがない。)

(1)被告は,コンピュータに関するソフトウェアの作成及びサービスの提供,一般労働者派遣業務等を目的とする株式会社である。

(2)原告は,平成15年4月23日,コンピュータシステムエンジニアとして被告に期限の定めなく雇用された(以下「本件雇用契約」という。)。賃金(月給)は,基本給22万円,職務手当8万円,毎月末日締切り,翌月15日支払の約定であった(甲13,14の1~3)。

(3)原告は,入社時,被告に対し,「貴社の就業規則および,服務に関する諸規則に従い誠実に勤務すること」,「履歴書その他入社時に提出した書類の記載事項は事実と相違ないこと」等の事項を遵守履行する旨記載した誓約書(以下「入社時誓約書」という。)を提出した(乙2)。

(4)原告は,同年7月4日まで社内研修を受けた後,同年7月7日からA生命保険株式会社(以下「A生命」という。)の本社システム部に派遣され,同所においてシステムエンジニアとしての業務を行っていた。

(5)被告は,原告に対し,平成15年7月17日付け「懲戒免職」と題する書面により,原告が派遣先で不道徳な行為に及んだことにつき,試用期間中でありながら就業規則44条11号に該当する事由があったとして,懲戒解雇する旨の意思表示(以下「本件解雇」ないし「本件懲戒解雇」という。)をした(甲1)。

(6)原告は,平成15年7月17日付けで,就業規則49条及び50条に違反しないことを誓約する旨,仮に違反した場合は就業規則47条に基づき提訴されてもかまわない旨記載した誓約書(以下「退社時誓約書」という。)に署名押印し,被告に提出した(乙3)。

(7)原告は,解雇を通告された後は被告には出社せず,被告に対し,同年7月下旬ころ離職票や源泉徴収票の書類交付を請求し,同年8月に解雇予告手当を請求した(原告本人)。被告は,原告に対し,同年9月4日解雇予告手当として31万0110円を支払った。

(8)被告の就業規則には,次の趣旨の定めがある(乙1)。

ア 新たに採用された者は入社日より4か月の期間を定めて試用する。ただし,事情により短縮,免除又は6か月を限度として延長することがある(6条1項)。
試用期間中に社員として不適格と認められる者は解雇する(同条2項)

イ 懲戒は,戒告,減給,出勤停止,降格,諭旨解雇,懲戒解雇の6種類とする(41条)。

ウ 社員が「ハレンチ,背信な不正不義の行為をなし,社員としての対面を汚し,会社の名誉及び信用を傷つけたとき」に該当するときは懲戒解雇に処する(44条11号)。

エ 故意又は重大な過失によって被告に損害を与えたときは,懲戒に関係なく,別にその損害の全部又は一部を賠償させることがある(47条)。

オ 社員は,退社後3年間,被告の承認を得ないで,被告と同一業種または類似業種の企業に就業してはならない(49条)。

カ 社員は,退社後,被告における技術開発の詳細,ノウハウ及び開発する商品について他に漏えいしたり,私用に流用してはならない(50条)。

2 争点

(1)本件懲戒解雇の効力

(被告の主張)

ア 平成15年7月7日から,A生命において原告外1名に対する実地研修が1か月の予定で実施されたところ,原告は,同月16日同社の研修担当者であるB(以下「B」という。)をお茶に誘った。Bは,2人だけで会うつもりはなかったため,「研修中で忙しいし,今度皆で行きましょう。」と断ったところ,原告は,その後も誘いを断るBに再三誘いの電話をかけ,さらには,業務時間中に,A生命のコンピュータを全くの私用目的で使用し,2度にわたり同社のBのメールアドレス宛に電子メールを送信した。A生命では,原告からのメール内容が単なるお茶の誘いの域を大きく逸脱し,いわゆるセクハラ行為に該当すると評価し,原告を危険人物として出入り禁止とした。原告の上記行為は,就業規則44条11号の懲戒解雇事由に該当する。

イ 原告は,システムエンジニアの業界で厳格に禁止されている派遣先のパソコン及び電子メールの私的使用を行っており,システムの安全確保に対する被告の信用を著しく侵害した。A生命は,被告が長期間を費やしてC株式会社(以下「C」という。)との協力関係により開拓した重要な派遣先であるところ,被告は,原告の行為により,重要な派遣先を失うおそれすら生じ,現実に,原告派遣の対価の支払を拒絶され,また予定されていた派遣人員の増員が実現せず,経済的にも大きな損失を被った。これらの事情からして,本件懲戒解雇は相当なものである。

(原告の主張)

ア 原告は,Bに対し,口頭で1回,電子メールで2回,「お茶でもどうですか。」と平穏に誘ったにすぎず,それ以上のことはしていない。この行為は到底懲戒解雇事由に該当しない。また,原告が業務時間中に送信した電子メールは1通のみである上,被告の就業規則上,私用メールは戒告事由に該当するのみで解雇事由に該当しない。
被告は,システムの安全確保の観点から私用メールを問題とするが,被告の就業規則及び被告とA生命との間の契約のいずれにおいても,システムの安全確保の観点から私用メールを禁止する規定はなく,原告は事前にその旨の注意も受けていない(規範の不存在)。原告が送信した電子メールは,A生命の社内システムを用いずに,一般のメールサーバーを経由して送信したものであり,これは,A生命の従業員が社外の者と電子メールを送受信するのと変わりなく,システムの安全上,何ら問題はない(実害・実質的危険の不存在)。なお,A生命の従業員のメールアドレスは名刺にも記載されており,到底厳格に管理されていたとはいえない。

イ 仮に、原告に懲戒解雇事由に該当する行為があったとしても,被告は,原告に対し,弁解の機会を与えず,注意して反省する機会も与えず,配置転換等の解雇回避措置もとっていない。また,行為の程度に比べて処分が不相当に重く,均衡を失している。本件懲戒解雇は解雇権の濫用として無効である。

(2)普通解雇の効力

(被告の主張)

ア 原告は,(1)で主張したとおり,執拗に女性従業員を誘ったり,私用が禁止されている電子メールを私的に使用したため,A生命から出入り禁止となった。原告の行為は,入社時誓約書の遵守事項「就業規則及び服務に関する諸規則に従い誠実に勤務すること」に明らかに反する。

イ 原告は,履歴書等入社時に提出した書類の記載事項は事実と相違ないと確認する入社時誓約書を提出したにもかかわらず,履歴書等に本名のX1ではなく,通称名のX1’を氏名として記載した。

ウ 原告は,本件解雇後も,離職票の発行に関する事務連絡の際に被告の女性従業員を誘う電子メールを送信したり,他の女性従業員の住所氏名を執拗に問い合わせる等の行為を行っており,被告社員としての適格性につき改善の可能性は認められない。

エ 以上のとおり,原告は,被告の社員としての適格性を欠くところ,被告は,本件懲戒解雇と同時に,予備的に就業規則6条2項に基づく普通解雇の意思表示をした。

(原告の主張)

ア 前記(1)のとおり,原告の行為は解雇事由となり得ないし,被告の処分は原告の行為との均衡を著しく失している。

イ 原告は,日本で生まれた外国人(現在は帰化して日本国籍を取得している。)として,社会生活全般において通称名(当時,外国人登録上も通称として登録されていた。)を使用しているから,入社時に通称名を申告するのは当然である。被告の業務内容上,原告の外国人登録上の氏は重要とは考えられない。

(3)合意解約の成否

(被告の主張)

被告は,平成15年7月18日,原告に対し,本件雇用契約の合意解約を申し入れ,原告は,同年9月5日,これを承諾した。すなわち,原告は,解雇の事実について異議をとどめることなく,同年7月17日付けで退社時誓約書を提出し,被告に解雇予告手当の支払を請求し,同年9月5日に解雇予告手当を異議なく受領したことにより,被告からの合意解約の申込みを示諾した。

(原告の主張)

被告は,本件懲戒解雇の際,誓約書を提出しないと損害賠償を請求すると通告したため,原告はやむを得ず退社時誓約書を提出した。解雇予告手当の請求は,生活の必要によるものであり,解雇を争わない趣旨のものではない。

(4)原告の賃金請求の可否

(原告の主張)

本件解雇は無効であり,本件雇用契約の合意解約も成立していないから,原告は,月額30万円の賃金を請求できる。なお,原告は,平成15年7月分として19万2601円,解雇予告手当名目で31万0110円,合計50万2711円の支払を受けたので,同年7月分から平成16年2月分までの未払い賃金は189万7289円となる。

(被告の主張)

ア 原告の賃金のうち職務手当月額8万円は,職務を行っていない平成15年7月18日以降は発生しない。

イ 原告は,平成15年7月18日以降,他の職に就くなどして労務提供を行っていないから,基本給月額22万円の賃金債権も発生しない。

ウ 被告は原告に対し,解雇予告手当として31万0110円を支払っており,平成16年4月15日以降は毎月18万円を支払っている。

第3 争点に対する判断

1 争点(1)(本件懲戒解雇の効力)について

(1)認定した事実

後掲証拠及び弁論の全趣旨によれば次の事実が認められる。

ア Cは,平成15年3月末ころ(以下,明示しない限りいずれも同年),A生命の社内ネットワークシステムの構築及び監視業務を請け負い,被告は,CからA生命社内の夜間ネットワーク監視業務を受注することとなった。この業務遂行には,英語のできるネットワーク技術者2名が必要であったが,被告社内にはこの条件を満たす従業員がいなかったため,被告は,4月23日,新たに原告を正社員として採用した。被告は,採用後7月4日までの間,自社において原告に対する研修を実施し,7月7日から原告外1名の社員をA生命に派遣した。原告外1名に対しては,7月7日から約1か月間の予定で,A生命本社システム部による実地研修が行われた。(証人D)

イ 原告は,7月15日の勤務時間終了後,研修を担当したA生命システム部の女性従業員Bの指導が親切であったことから好意を抱き,口頭で「お茶でもいかがですか」と誘った。Bは,原告からの個人的誘いに応じる気はなかったが,原告の立場に配慮し,「忙しいのでそのうちに皆で行きましょう」というような婉曲な表現で断った。しかし,原告は,その真意を察することなく,当日は忙しいため応じられないとの趣旨と理解し,翌16日午前の勤務時間中,A生命のパソコン端末を使用して,B宛に改めてお茶に誘う電子メールを送信した(1回目のメール)。しかし,Bから返信がなかったため,同日の夜間勤務が終了した翌17日早朝,同様にA生命のパソコン端末を使用して,再度B宛に同旨の電子メールを送信した(2回目のメール)。1回目の電子メールは,概略「お疲れさまです,X1です。私は以前隣のビルのE証券に勤務していましたが,多くの方がリストラに遭いIT部の100名の社員が今は20名ぐらいになってしまいました。もしよろしければ帰りにお茶でもいかがですか。」というような内容のもの,2回目の電子メールは,概略「お疲れさまです,X1です。今日は夜勤初日なのではりきっています。もしよろしければおいしいグリーンティのお店を見つけたのでそこで仕事帰りにお茶でもいかがですか。」というような内容のものであった(以下,原告のこの一連の行為を「本件行為」という。)。(甲18,原告本人)

ウ Bは,7月16日午前,前日に誘いを断った原告から前記1回目のメールを受けて困惑し,上司に相談した。上司は,業務を発注しているCの担当者にこれを伝え,本人が迷惑に感じているので今後このようなことがないよう原告に注意するよう要請し,これを受けたC担当者は,被告営業部の課長D(以下「D」という。)に対し,同日午後,電話で上記苦情内容を伝えた上,Dから原告に注意をするよう依頼し,また午後5時すぎころにも電子メールで重ねて同旨の依頼をした。このメールの中で,Cの担当者は,「現在はトレーニング期間中で,お客様も言動に敏感になっておられますので,何卒宜しくお願い致します。」,「今回は,『御本人にもなるべく口止めして下さい』とお客様からも言って頂いているように大目に見てもらえていますが,次に何かクレームが上がった際は,要員を替えざるを得ないと考えております。」等と記載した。Dは,上記電話を受けた後,直ちに面談すべく原告に電話連絡を取ったが,双方の都合が合わず,翌17日に原告が被告の会社に赴くことになった,その際,Dは原告に,面談の理由やCの苦情について何も伝えなかったため,原告は,上記の事情を知らないまま,前記イのとおり,夜勤明けの7月17日朝,2回目のメールを送信した。(乙4,7,12,証人D)

エ A生命では,原告への注意を要請したにもかかわらず,7月17日朝再度Bに誘いのメールが送信されたことから,Cに対し強く苦情を述べ,これを受けたCの担当者は,同日午前10時ころ,電話でDに対し,原告のA生命への立入りを禁ずる旨伝えるとともに,原告の行動により重要な顧客であるA生命の契約を失いかねない状況であるとして強く抗議した。Dは,直ちに電話で原告を呼び,同日午前11時ころ,出社した原告に対し,A生命への原告の出入りが禁止されたことを伝えた。(乙4,12,証人D)

オ 被告は,同日,社内で協議の上,原告を懲戒解雇とすることを決定し,同日付けの「懲戒免職」と題する書面を作成し,これを原告に交付して懲戒解雇を通告するとともに,退社時誓約書を作成させた。(甲1,乙3,証人D)

(2)本件懲戒解雇の効力

ア 被告は,原告のBに対する行為がお茶の誘いを逸脱するセクハラ行為であったとして,就業規則44条11号が定める懲戒解雇事由に該当すると主張するが,前記認定のとおり,原告のBに対する誘いは口頭で1回,電子メールで2回の計3回にすぎず,その態様や内容自体も通常いわゆる「お茶に誘う」域を出ないものと認められるのであって,被告が主張するような行為であったことを認めるべき証拠はない。むしろ,前記認定の経緯に照らすと,A生命は,発注先のCに対し7月16日に原告の行為について注意するよう申し入れたにもかかわらず,翌17日に再度同様の行為がされたことを特に問題視したのであり,Cもまた,原告の言動により重要な顧客を失いかねないとの危機感を伝えて被告に注意を要請したにもかかわらず,原告が再度同じ行動を取ったことに強く反発し,その結果,原告の出入り禁止という事態に至ったものと推認され,Cから要請を受けた被告が,その日のうちに原告に電話で注意ないし警告をしてさえいれば,回避できた結果と考えられる。原告の行為は,自己の立場をわきまえない軽率なものではあるが,むしろ,適切な対応をとらなかった被告の側の責任がより大きいというべきである。
そして,原告の行為が上記のようなものであってみれば,これをもって,就業規則44条11号の懲戒解雇事由である,「ハレンチ,背信な不正不義の行為をなし,社員としての対面を汚し,会社の名誉及び信用を傷つけたとき」に該当するとみることはできない。

イ 被告は,原告がA生命のパソコンを使用して私的な電子メールを送信したことも問題とするところ,被告の就業規則36条は,社員が遵守すべき服務規律の一として「原則,仕事中は私用電話,私用メールはしないこと」を挙げており(乙1),原告のメール送信行為は,この服務規律に反するものであると同時に,派遣先での行為であるため,対外的に被告の信用を低下させる行為といえるが,この点を併せ考慮しても,原告の行為が前記懲戒解雇事由に該当するとするのは困難である(ちなみに,乙1によると,被告の就業規則上,「就業時間中に許可なく私用を行ったとき」は,戒告事由の一とされている。)。
なお,被告は,A生命の端末を使用し私用メールを送信したことにより,システム安全確保に対する被告の信用を著しく侵害された旨主張するが,証拠(甲3の1~8,甲16)によれば,原告は,A生命の社内システムを利用したのではなく,一般のメールサーバーを経由してBのメールアドレスに電子メールを送信したのであり,これは,A生命の従業員が社外の者と電子メールを送受信するのと何ら変わるところがないこと,A生命の従業員は,名刺に自己のメールアドレスを記載して関係者に配布しており,日常業務遂行のため社外の者と電子メールによる送受信を行っていることが認められ,これらの事実からすると,原告の私用メール送信は,A生命のシステムの安全確保という点では特に問題となる行為ではなく,被告の上記主張は採用できない(証人Dも,CやA生命からそのような趣旨の苦情はなかったことを認めている。)。

ウ 以上のとおり,原告の行為が懲戒解雇事由に該当するとは認められないから,本件懲戒解雇はその効力がない。

2 争点(2)(普通解雇の効力)について

(1)本件行為の態様,電子メールの内容等は前記のとおりであり,7月15日から同月17日まで,3日連続して,口頭で1回,電子メールで2回,派遣先の女性従業員をお茶に誘ったというものである。原告の行動は,前記のとおり,自己の立場をわきまえず,かつ,相手女性の心情を忖度する姿勢が希薄であって,いささか独りよがりの感があるといえ,また,派遣先のパソコン端末を使用して私用メールを送信したという点では,被告の就業規則における服務規律に反するのみならず,顧客に対する関係で被告の信用を低下せしめる行為である。
しかし,本件行為の内容及び態様それ自体は,特に強く非難されるべき行為とまではいえず,それが原告のA生命出入り禁止という事態に至ったことには被告の対応の不適切さが介在しており,顧客側からの苦情に対し被告が速やかにかつ適切に対処していれば,このような事態は回避できたと考えられること(A生命やC側には,原告が注意されたにもかかわらず同じ行為を繰り返したとの誤った認識があったと推測される。),顧客のパソコン端末を使用して私用メールを送信した点も,メールの内容・長さ,回数からするとごく軽微なもので,前記1(1)ウに認定したCからの電子メールの内容からすると,この観点からする顧客側の苦情は,あったとしても従たるものと推認される。
以上を考慮すると,本件行為により,原告について直ちに社員として不適格とまで認めるには至らず,仮にこれを肯定したとしても,本件解雇は,解雇権を濫用するものというべきである。

(2)被告は,①原告が採用時の書類に通称名を使用し,これが事実と相違ない旨の誓約書を提出したことや,②本件解雇後の被告女性従業員に対する言動をもって,原告の社員としての不適格性を示す事実と主張する(本件懲戒解雇の意思表示がされた当時,被告が①の点を問題としていたことは窺われず,②は事後の事情であるから,本件懲戒解雇の意思表示が普通解雇の意思表示を兼ねるとした場合でも,上記の事実を解雇事由として考慮するには問題があるが,この点はひとまず措く。)。
しかし,証拠(甲15)によれば,原告は,平成15年8月16日に日本国籍を取得する前は韓国籍であったが,日本で生まれ育ち,幼少時からX1’の通称名を使用し,成人後の社会生活においても銀行口座を含め全てこの通称名を使用しており,外国人登録証にもこの通称名が記載されていたことが認められるのであって,この事実に照らせば,原告が採用時履歴書等の書類に通称名を使用したことが氏名について虚偽の記載をしたというには当たらないというべきである。
また,証拠(乙6,7,原告本人)によると,原告は,被告から解雇通告を受けた後の7月下旬ころ,被告の総務担当者女性従業員に離職票に関する事務連絡をした際,姓しか知らない他の女性従業員の名を問い合わせたこと,これを拒絶された後,離職票送付の対応をした女性従業員を食事に誘って断られたことが認められる。Bに対するお茶の誘いが原因で被告から懲戒解雇を通告されたことを考えると,原告の行為はいささか理解に苦しむものではあるが,しかし,この事実から,原告が被告従業員としての適格性を欠くとまでは認めるのは困難である。
さらに,証人Dは,採用後A生命での業務が始まる前に数社の面接を受けさせたところいずれも不合格であったとか,原告の対人関係に問題があったように供述をするが,抽象的な評価の域を出ず,その後被告が最重要顧客とするCからの仕事に原告を従事させたことからすると,被告は,本件行為以前には,原告が被告社員として不適格であるとは判断していなかったと認められるから,この点は考慮しない。

(3)以上のとおりであり,仮に,本件懲戒解雇の意思表示が普通解雇の意思表示を兼ねるものであると解し,また,原告が採用後4か月以内で就業規則上試用期間中であったことを前提としても,本件解雇は,解雇事由がないか,又は解雇権の濫用として無効というべきである。

3 争点(3)(合意解約の成否)について

(1)原告が退職時に被告就業規則49条及び50条に違反しないことを誓約し,仮に違反した場合は就業規則47条に基づき提訴されてもかまわない旨が記載された退社時誓約書に署名押印して被告に提出したこと,原告が本件解雇直後の平成15年8月に被告に対し解雇予告手当の支払を請求し,被告が同年9月4日にその支払をしたことは前提となる事実のとおりであり,また,証拠(乙6,7,原告本人)によると,原告は,被告から解雇を通告された後は被告には出社せず,一時的に短期の仕事をいくつか請け負うなどしてなにがしかの収入を得,同年7月下旬ころには被告に対し離職票や源泉徴収票の交付を請求したことが認められる。

(2)被告は,本件解雇の意思表示を本件雇用契約解約の申し入れとし,上記(1)の経過から,原告は少なくとも解雇予告手当を受領した平成15年9月5日には,この申し入れを承諾したと主張する。
しかし,証拠(甲2,4,12,16,原告本人)及び弁論の全趣旨によれば,原告は,退社時誓約書を作成する際,被告から,本件行為により被った損害について損害賠償請求も考えていると言われ,そのような事態を避けるためやむなくその作成に応じたこと,原告は,本件解雇を通告された直後の7月下旬ころ,本件解雇について労働基準監督署に相談し,その指導により被告に対し離職に伴う書類を請求するとともに,労働基準監督署から解雇予告手当の請求をすることができるとの助言を受け,当面の生活のため被告にこれを請求してその支払を受けたが,これにより解雇を受け容れるという意識はなかったこと,原告は,同年12月,法律扶助協会を通じて原告代理人に相談し,本件解雇の無効を主張して法的手段を採ることを決め,平成16年1月,当庁に地位保全等の仮処分を申し立てたことが認められる。
上記認定事実に照らし勘案すれば,前記(1)の経緯から,原告が平成15年9月5日被告から解雇予告手当を受領することにより,被告による本件雇用契約解約の申し入れを黙示に承諾したと認めることはできない

(3)よって,被告の合意解約の主張は失当である。

4 争点(4)(賃金請求の可否)について

(1)双務契約において,一方の債務が債権者の責めに帰すべき事由により履行することができないときは,その債務者は反対給付を受ける権利を失わない(民法536条2項本文)。本件において,被告は,原告に対し,解雇を通告して原告の労務提供を拒否し,その後この意思を撤回することなく現在に至っているところ,この解雇は懲戒解雇としても,また普通解雇としても無効であり,合意解約の成立も認められないから,原告は,被告の責めに帰すべき事由により労務を履行できなかったというべく,その反対給付たる賃金請求権を失わない。

(2)また,本件のように無効な解雇が行われた場合,労働者がその生活を維持するために一時的に他の職について収入を得たとしても,そのことだけでは労務提供の意思が否定されるものではないと解すべきところ,本件解雇後,原告が生活のため他の仕事をしてなにがしかの収入を得ていたことは前記のとおりであるが,原告本人尋問の結果によれば,これは生活維持のためやむなく一時的に行ったものと認められるから,この点をもって原告の賃金請求権を否定する理由とすることはできない。なお,原告が得た収入については,原告に平均賃金の6割の支払が確保される限度において,別途被告が原告に対しこれを償還請求することができると解される(民法536条2項ただし書,労働基準法26条)。

(3)なお,原告は,解雇予告手当として支払われた分を未払賃金に充当した上で,その分を控除して本訴賃金請求を行っており,また,被告が主張する月額18万円の支払は仮処分決定によるものであるから(弁論の全趣旨),本案では考慮すべきではない

(4)以上によれば,原告の賃金請求のうち過去に遡及して請求する分は,原告主張のとおり認容することができ,また,将来請求分のうち本判決確定までの分については,本件の事実関係に鑑みその必要性を肯定できるが,本判決確定後の分についてもなお予め請求する必要性があることを認めるに足りる証拠はない。

5 結論

以上によれば,原告の請求は,主文第1,2項に記載の限度で理由があるから認容し,その余は不適法であるから却下することとして,主文のとおり判決する。

東京地方裁判所

裁判官 三代川 三千代

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