O法律事務所(事務員解雇)事件(名古屋地判平成16.6.15)

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当事者

原告 甲野花子
同訴訟代理人弁護士 甲野太郎
同 萱垣建
被告 乙山次郎
同訴訟代理人弁護士 服部一郎

主文

1 原告の請求を棄却する。

2 訴訟費用は原告の負担とする。

第1 請求

被告は,原告に対し,486万4000円及びこれに対する平成15年4月1日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

第2 事案の概要

本件は,弁護士である被告が開設する法律事務所に事務員として雇用された原告が,被告から解雇された(以下「本件解雇」という。)が,本件解雇は解雇理由も明示されず,合理的理由もないものであるなど,違法であって不法行為に当たるとして,被告に対し,不法行為による損害賠償請求権に基づき,〔1〕逸失利益186万4000円(6か月分賃金相当額139万8000円と賞与相当額46万6000円との合計額)及び〔2〕慰謝料300万円並びにこれに対する不法行為の後の日である平成15年4月1日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求める事案である。
これに対し,被告は,原告と被告との雇用契約の終了原因は,解雇ではなく合意解約によるものであると争い,予備的に普通解雇を主張するものである。

1 争いのない事実等

(1)被告は,昭和62年4月2日,名古屋弁護士会に弁護士登録した司法修習第39期の弁護士である。被告は,弁護士登録後,勤務弁護士を経験した後,平成4年4月1日に独立して,名古屋市中区〈以下略〉において乙山次郎法律事務所(以下「被告事務所」という。)を開設した。

(2)原告は,被告事務所が開設された平成4年4月1日から10年以上,同事務所に勤務した元事務員である。

(3)原告は,平成14年11月ころ,被告に対し,名古屋弁護士会所属の甲野太郎弁護士と結婚する予定であると伝えた。

(4)原告と被告との間の労働契約は,平成15年3月31日をもって終了した。

(5)原告は,平成15年6月11日,名古屋地方裁判所に対し,被告に対する本件損害賠償訴訟の訴えを提起した(当裁判所に顕著)。

2 争点及び当事者の主張

(1)解雇行為の有無及びその違法性

(原告の主張)

被告は,原告を解雇した。本件解雇は,実質的には,既婚者を排除する意図によるものであり,解雇権の濫用に当たる。また,本件解雇は,結婚を理由とする解雇であり,男女雇用機会均等法8条3項に反する。さらに,被告は,職場環境を調整すべき義務,すなわち原告が他の法律事務所の弁護士と結婚することにより支障が生じるのであれば,その支障を解消すべき義務を負っているが,被告はそれを怠った。その上,本件解雇は,解雇理由を明示していないし,さらに,原告は,採用時,勤務時にも「他の法律事務所の弁護士と婚姻すれば解雇する」という条件は知らされていない。したがって,本件解雇は違法であり,不法行為に当たる。

(被告の主張)

 原告と被告との雇用契約は,合意解約に基づいて終了したものである。

(2)損害

(原告の主張)

ア 逸失利益

被告の解雇行為により,原告は本来勤務を継続して得られたはずの賃金相当額(6か月分139万8000円)及び賞与相当額(賃金2か月相当分46万6000円)の合計186万4000円の損害を受けた。

イ 慰謝料

被告の解雇行為により,原告は職業安定所に通わざるを得なくなったが,求人もない状態にあり,人生設計が根底から破綻した。原告が被った精神的苦痛を慰謝するには300万円が相当である。

(被告の主張)

仮に,解雇が違法であるなら,雇用関係は継続しているから,雇用契約に基づく賃金支払請求権は発生しても,賃金相当額の逸失利益は発生しない。さらに,原告は,復職を希望しないから賃金支払請求権も発生しない。

(3)普通解雇(予備的抗弁)

(被告の主張)

仮に,合意解約の事実が認められないとしても,被告は,平成14年11月,平成15年3月31日付けで原告を普通解雇した。被告は,弁護士としてその依頼者の秘密を保持すべき高度の義務を負っている。この点,業務上被告の依頼者の秘密に接する機会がある被告事務所の事務員が,被告と同じ名古屋弁護士会に所属し,被告と同じ名古屋市内に事務所を置き,訴訟等の相手方となる可能性の高い他の法律事務所の弁護士と結婚した場合,被告の依頼者の秘密が漏洩するおそれが生じる。さらに,その結婚の事実を知った被告の依頼者は,被告に秘密を述べることに不安を覚えることになるなど,被告とその依頼者との信頼関係にも支障が生じるおそれがある。さらに,その結婚の事実により,弁護士同士が馴れ合っているという誤解を受けるおそれもある。加えて,その結婚の事実により被告が受任する事件も制約を受けるおそれもある。これらの事情により,被告の弁護士としての公正・中立性に,ひいてはその職務遂行に重大な支障が生じるおそれがある。したがって,被告は,上記のような支障を避けるために原告を解雇したものであり,上記解雇には合理的理由がある。

(原告の主張)

被告の解雇は,何ら合理的理由がないものである。

第3 当裁判所の判断

1 争いのない事実

(1)被告は,昭和62年4月2日,名古屋弁護士会に弁護士登録した司法修習第39期の弁護士である。被告は,弁護士登録後,勤務弁護士を経験した後,平成4年4月1日に独立して,名古屋市中区〈以下略〉において被告事務所を開設した。

(2)原告は,知人の知合いの弁護士を通じて,被告事務所を紹介され,平成4年3月ころ,被告の面接を受け,同事務所に勤務することとなり,その後10年以上勤務した。

(3)原告は,甲野太郎弁護士と交際を始めた後,被告に対し,同弁護士と交際中であると伝えた。その後,原告は,被告に対し,一般論として結婚しても仕事は続けられるかと尋ねたところ,被告は続けてもらってかまわないと答えた。

(4)被告事務所では,平成14年当時,平成13年3月から勤務しているT(以下「T」という。)と原告の2名の事務員が勤務していた。
原告は,特に破産事件を中心とする民事事件,刑事事件等の事件処理全般のみならず,経費の支払等の経理事務も担当し,被告事務所の事務局の中核的な立場にあった。

(5)被告は,平成14年8月に事務所の移転をしたが,移転日の連絡の不備のため,原告に多大な負担をかけたことがあった。

(6)Tは,結婚が決まったことから,平成14年9月下旬,被告に対し,平成14年12月14日に結婚すると伝え,その際,結婚式への出席の依頼をした。Tは,「単に名前が変わるだけですから,仕事は続けます。」と述べ,その際,被告は,Tが従前どおりの勤務形態を維持することができるか不安に感じた。なお,Tは,被告事務所に現在も勤務している

(7)原告は,平成14年11月11日ころ,被告に対し,甲野太郎弁護士と同年12月に結婚する予定であると伝えた。原告は,その際,「私としては,結婚後も勤務を続けてもかまいませんし,あるいは退職することになるのか,どちらでもかまいません。」と述べた。

(8)被告は,原告が結婚する相手が,被告と同じ名古屋弁護士に所属し,かつ同じ名古屋市内に事務所を置く他の法律事務所の弁護士である以上,被告事務所で取り扱う事件の処理に当たり,秘密保持,依頼者との信頼関係等の観点から問題が多すぎると判断した。

(9)被告は,平成14年11月15日ころ,原告に対し,「当事務所を退職していただきたい。その時期としては,年末ということもあるが,それでは突然すぎるし,また,当事務所での後任事務員の引継ぎもしていただきたいので,平成15年3月末をもって退職としてもらえないか。」と提案した。
原告は,これに対し,「分かりました。ちょうど破産管財事件もおおむね目処がついてきましたから。」と述べた。ただし,この点について,原告と被告との間で書面が作成されることはなかった。当時,原告が担当していたHという破産者の破産管財事件の処理が終了するころになっていた。

(10)被告は,平成14年11月15日の話合いの後,就職情報誌「とらばーゆ」に新規事務員募集の広告掲載の依頼をし,同情報誌に求人広告が掲載された後,同年12月7日に新事務員採用のための面接をした。被告は,1名の事務員を採用することとし,その者に連絡したところ,現在仕事がないのですぐに働きたいという希望であった。被告は,原告から,新事務員の採用時期は平成15年1月以降にしてほしいという希望を聞いていた。しかし,被告は,新事務員の希望をかなえたいという気持ちと一日でも早く仕事に慣れてもらいたいという気持ちから,新事務員には年内から勤務してもらうこととし,そのことを原告に伝えた。原告は,新事務員が年内から勤務することについて不快感を示し,新事務員が年内から勤務を始めて忘年会に出席するのであれば,原告は忘年会に出席しないと被告に伝えた。

(11)被告は,平成14年12月11日午前,新事務員に事務所に来てもらい,勤務条件の説明をした上で,翌日から出勤してもらうことにし,事務所の受付カウンターのところで,新事務員を原告らに紹介した。このとき,原告が,新事務員がどこに座るのかと被告に尋ねたので,被告は,原告の右隣の空いている机に座ってもらうつもりであり,そのためその机の上に置いてある書類等を整理してもらいたいと原告に述べた。しかし,原告は,その机の上に置いてある書類等は事務に使用する重要な書類なので移動させるのは困ると被告に対して述べた。被告は,その場の雰囲気が険悪なものであると感じ,とにかく整理をするように原告に対して述べた。

(12)被告は,平成14年12月11日夕方,新事務員から,急に別の会社に勤務することが決まったため被告事務所では働けないという内容の断りの電話を受けた。

(13)原告は,平成14年12月22日午前中,住民票を移動する手続を採るため,休暇を取り,午後入籍したことを被告に対して報告した。原告は,同年12月ころは実家と新居との間を行き来していたが,平成15年1月からは,新居で甲野太郎弁護士との同居を開始した。

(14)被告は,平成15年1月7日ころ,入籍のお祝品を原告に渡した。

(15)原告は,平成15年1月28日ころ,被告に対し,「精神的に不安定なんです。私がなぜ辞めなければならないんですか。私に落ち度はないはずです。」と述べた。被告は,このとき,原告に対し,「弁護士の妻になった以上,別の法律事務所である被告の事務所で勤務することは無理であることを理解してもらいたい。」と述べ,退職勧奨の理由を説明した。そのときの会話はおおむね以下のとおりである。
原告「私は,仕事を続けたいという気持ちは今でも変わりがありません。仕事は続けたいです。」
被告「ご理解いただきたいと思います。」
原告「私はこの仕事をとても大切にしてきました。ですから,この事務所に損害を与えるような仕事はしてきていません。私にとってこの仕事はもはや体の一部と思えるほどになっていて,解雇を言われた今,体の一部がなくなってしまったようでとてもつらいです。こんな気持ちのまま,新しい事務員さんに仕事の引継がされることはとてもつらいです。」
被告「あなたの意見を聞く場がなかったですから。」
原告「解雇日と解雇理由を明確にして下さい。」
被告「解雇ととられるとなあ。」
原告「でも私は仕事を続けたいと言っているのですから,これは希望退職ではありませんよね。そしたら,事務所都合の解雇ではありませんか。」
被告「あなたが解雇ととるなら別にそう思ってもらってもいいですよ。」
原告「解雇日と解雇理由を教えて下さい。」
被告「日にちは3月31日。理由は,事務所の秘密保持のためです。
原告「これを書面にしていただけませんか。」
被告「そんな法律あるの。」
原告「私は法律家ではないのでわかりません。」
被告「お断りします。」
このやりとりの後,原告は,被告に対し,退職手当の支給の有無の確認と休暇の取得方法について確認した。被告は,退職手当は支給すると回答したが,具体的な金額については述べなかった。休暇の取得方法については,被告の事務所には就業規則がなく,有給休暇の日数が不明であったことから,原告が残りの有給休暇の日数を被告に確認したところ,被告は即座に回答できず,調査の後に回答することとなった。
原告は,これに対し,「分かりました。辞めるのは3月31日午後5時ですね。」と述べ,退職の点を確認した。
また,原告は,被告に対し,同年8月の事務所の移転に関する苦情を述べたが,最後は,「こんなことを言ってももういいです。どうせ3月で辞める身ですから。」と述べた。
さらに,原告は,「私の精神状態では新事務員の研修をするつもりはありませんから。」と述べたため,被告は新事務員の研修を原告に依頼することを断念した。

(16)原告は,平成15年2月10日ころ,被告に対し,再度有給休暇の残りの日数について確認を求めた。被告は,原告が新事務員に対する研修をしないことになったので,一日も早く新しい事務員に勤務してもらう必要があるため,原告が出勤するのは同年2月末までとしたいと考えていた。
その際の会話はおおむね以下のとおりである。
原告「先生,私の有給休暇は,結局何日なのでしょうか。」
被告「20日です。20日ありますので,3月は有給休暇を取ってもらって,勤務は2月末ということで・・・。」
原告「私は,有給休暇の日数を確認したいだけなんですが。有給休暇は自分で決めて取れないのですか。」
被告「この間の話で,あなたは,引継が嫌だとおっしゃったので,それで3月は休暇を取ってもらって・・・。」
原告「私は3月31日まで,この事務所に籍はあるのですよね。どうして自分で有給休暇の日にちを決めてはいけないのですか。」
被告「では,今,日にちを言ってもらえないのですね。」
原告「まだ,決めていませんので言えません。そんなに私を追いやらなくてもいいじゃないですか。」
被告「別に追いやっていませんよ。ただ,自己都合ではなく,事務所都合の解雇となると法律的には1か月の解雇予告手当を払って辞めてもらうことになる。どうするか考えます。」
被告は,原告に対し,原告が新事務員の研修をしてもらえないので,一日も早く新しい事務員に勤務して仕事に慣れてもらう必要があるので協力してもらうよう依頼したが,原告は聞き入れる感じではなかった。

(17)原告は,卓上カレンダーの平成15年3月の部分をコピーし,出勤日に丸を付けてそのコピーを被告に交付し,有給休暇の取得の予定を伝えた

(18)原告は,被告に伝えた予定のとおり,有給休暇を取得し,3月は,5日,6日,7日,14日及び20日の5日のみ出勤した。原告は,被告事務所に10年以上勤務したが,有給休暇を取ったことはさほど多くなく,20日近く取ったのはこれが初めてである

(19)被告は,被告事務所の勤務弁護士であるY弁護士を通じて,原告に対して送別会への出欠の有無を確認したが,原告は出席を拒否した。

(20)原告は,給料日である平成15年3月20日,被告事務所に出勤した。被告は,原告に対し,退職後の書類を送付するための住所地の確認をし,退職金を支払うための金融機関の口座を教えるよう伝え,原告は,金融機関の口座については,ファクシミリにより送信すると述べた。
原告が被告事務所に出勤したのはこれが最後であった。

(21)原告は、平成15年3月31日,被告に対し,退職金の振込先の銀行口座を記載した文書をファクシミリにより送信した。原告は,同日から新事務員を雇ったため,被告事務所の事務員はTと合わせて2名となった。

(22)原告は,平成15年4月,社会保険労務士から雇用保険被保険者離職票を郵送により受領した。原告は,離職票の離職理由が「退職勧奨による退職」と記載されていたことに対して異議を述べた

(23)被告は,平成15年5月6日,原告に対し,退職金150万円から所得税等を控除した146万5980円を上記振込先に送金する方法で支払った。

(24)原告は,平成15年3月31日に被告との雇用関係が終了した当初は,被告に対する訴えを提起することは考えていなかったが,同年6月11日,名古屋地方裁判所に対し,被告に対する本件訴訟の訴えを提起した。

2 争点(1)(解雇行為の有無及びその違法性)について

原告は,被告から解雇されたと主張し,証拠(〈証拠略〉)にはこれに沿う部分があり,原告は,被告に対し,平成14年11月11日に「仕事は続けて行きたい。」と述べたとか,同月15日に「働きたいということを言いました。」等の上記主張に沿う供述をする(〈証拠略〉,原告本人)。
この点,前記認定事実のとおり,原告は,被告に対し,新事務員が平成14年年内から勤務することについて強い不快感を示したり,新事務員の研修の依頼を拒否するなど,被告に対して比較的率直に意見を述べる関係にあったことが窺われるところであり,原告の主張のとおり,原告が被告の退職勧奨に反対したのであれば,原告は直ちに被告に抗議し,事務員としての地位を保全する何らかの行動を取るはずであるように思われる。
しかし,前記認定事実のとおり,原告は,平成14年12月に新事務員の募集等が行われたが,その点について被告に対して格別の抗議をしていないこと,原告は,平成15年1月28日に,退職することについて異議を唱える発言をしているが,最終的には同年3月31日の退職を前提に残りの有給休暇の日数を確認していること,それまで余り有給休暇を取らなかった原告が,自ら平成15年3月の有給休暇の予定表を作成し,同月は5日出勤するだけで残りは有給休暇の消化に励み,同月20日を最後に出勤しなくなったこと,原告は,被告との雇用契約が終了する同月31日に,被告に対し,退職金の振込先の銀行口座を記載した書面をファクシミリにより送信し,同年5月6日,被告が振り込んだ退職金を受け取っていること,原告は,配偶者が弁護士であって被告との交渉等をすることも比較的容易であるにもかかわらず,退職の話が出た平成14年11月以降本件訴訟が提起された平成15年6月に至るまで,被告に対し,明示的に事務員としての地位を保全する行動に出ていないことなどに照らすと,原告は,平成14年11月に被告との間で雇用契約を合意解約し,被告との雇用契約が平成15年3月31日に終了することを前提として行動していたものと認められる。なお,上記合意解約に係る書面が作成されていないことは,上記認定を左右するものではない
以上の事実に照らすと,原告の上記主張に沿う証拠は信用することができず,他に原告の上記主張を認めるに足りる的確な証拠はない。
したがって,原告の上記主張を採用することはできない。

第4 結論

よって,原告の請求はその余の点について判断するまでもなく理由がない。

裁判官 上村 考由